毒母の葬式には毒母の友達と親戚しか参列しておらず、三女が猫をかぶっておじ様方と対応していました。
私は女性陣及び次女と専ら話をしていました。
でも、これは私が女らしいからではありません。
私は、序列に拘る男性が最初から警戒ないし敬遠するほどの高学歴高身長(+職業も、、、)な上、自己イメージが半分男なのです。
今となって思えば、男性に対して下手に出る方が生きやすかった。
でも、長女はそう思ってもなかなか実行しないんですよね。
三女は学習力がありますが。
長男の嫁イビリ
なかなか理解してもらえないのですが、私が子供のころの毒母実家での長男の嫁イビリが私の人生にもの凄く影響を与えているのです。
父方の親戚は喧嘩を全くせず、女の人は優しい代わりに、お年玉もくれなかったですし、派手な付き合いは嫌い。
それに対して、母方の親戚は、助け合いの精神で交際は好むけれども攻撃的で喧嘩ばかりしていました。
長女一般がそうかもしれませんが、なかなか人に甘えられません。
その上、父も子供を可愛がるタイプではなかった上、私が長じると男性目線で私をライバル視してきました。
その上、毒母のおかげで親戚付き合いも妨げられるし、、、
叔母への垂れ流し
我が家の毒母は、夫や子供をサンドバックのようにしていましたが、本来、強い人に付いていきたいタイプ。なのに、私の父親には学はあるけれどもリーダーシップが全くありませんでした。
それで、毒母がいつも頼りにしていたのが、毒母の妹。
叔母は子供がいなかったため、なぜか、我が家に毎月遊びに来ていました。
毒母に言わせれば叔母は美人(毒母よりも)で社交的。
子供から見ても、話しは面白いし、いつも服を作って持ってきてくれたりしてくれていたので、三女を叔母の養女にする話が出た時には私が養女に行きたいと言ったくらいでした。
しかし、今にして思えばこの叔母がやっかいだった、、、、
私の母と祖母は、今にして思えばストレスや不安を自分で抱えられないタイプで、この叔母さんにいろいろ愚痴を垂れ流すのです。もちろんその際は自分は何も悪くない体で。その後は親戚中にwalking speaker。毒母も理解はするものの、ストレス垂れ流しが止められない。
私が子供の頃はまだ私がターゲットではありませんでした。
ターゲットは母の兄の嫁。つまり長男の嫁でした。
盆や正月に毒母の実家に帰省すると、長男の嫁は会食の和には入れてもらえず給仕をして当たり前。
そのやり方が悪いと、意地の悪い毒母と叔母が因縁を付ける。
祖母に対する態度が悪いという理由で、毒母と叔母が長男の嫁に詰め寄って、毒母の弟が止めに入る修羅場も見ました。
伯父(毒母実家長男)は、「お前(毒母)がそんなこと言うなら、オレだって〇〇(私)みたいな女と結婚したくないって言うぞ!!!!」と矛先を私に向けてくる。
はああああああ?なんで?
私なんて小学生なのに、このいざこざを止めてあげようとしていたのに!!!!
ターゲットが私に?
私が小学生の頃、午後3時頃に帰宅すると、母は毎日叔母か祖母と電話で話をしていて、その内容はいつも長男の嫁の悪口。
祖母に対する態度が悪いというのがその理由でした。
午後5時頃までこれを続けたかと思うと母は、おもむろに「〇〇が電話はしてくるから、もう夕ご飯の時間になっちゃった。」と夕食の支度のために台所に行く。
私は学校から帰ってきても母に話を聞いてもらえないばかりか、煩くてテレビも見られない。
おまけに、私は当時、学校では学級委員になるタイプで正論を吐く。
「静かにして。」「お母さんも叔母ちゃんも、自分は姑と同居してないし、仕事もしていないのに、なんでそんなこと言うの。」
もちろん母の返事は「煩い。」「子供は関係ない。」「あんたにはわからん。」
この繰り返しでした。
それで、今度は毒母が「〇〇(私)は親の言うことを聞かない。」と叔母に垂れ流し、叔母が毒母親戚に垂れ流す。そして今度は私がターゲットです。
まあ、次女は大人しかった上次女だったので小学生の分際で親に意見しないし、三女は要領いいので黙って立ち去るか「〇〇ちゃん(三女)お母さんと楽しい話したい♪」などと言って親心をくすぐるんでしょうね。三女が小学生の頃にはこの毒母実家のいざこざはいつの間にか消えていましたが。
親戚からの隔離
結局毒母実家の長男の嫁問題は、長男の嫁が毒母姉のレストランに働きに出て祖母と顔を合わせない、とすることで解決しました。
長男は起業して高額納税者になっていたんですけどね。
また、盆正月は長男の嫁は子供を連れて長男の嫁の実家に帰省するということになったので、私は子供のころは仲良くしていた従兄とも顔を合わせなくなりました。
なんで毒母はこんな風にしてくれるんでしょうかね。
おまけに、このようにして、私と毒母実家との関係が薄くなっていった一方で、毒母は長男(私の伯父)の子供(男の子)と私の学歴競争をさせていたようで、ますます私の立場がなくなっていきました。
想像ですが、伯父は、長男で起業するタイプの人なので、「女に勉強させてどうする」と毒母に言い、毒母はそれを見返すために、競争から降りられなくなっていたのだと今では思います。
あの頃は、近所の本屋に問題集を買いにいっただけで、本屋のおじさんから「女が勉強してどうする。」と言われていましたから。
もちろん、毒母は、毒母が鬼のように私を煽っていたことは全く言わず、私が〇〇大学に行きたいと言っていて困る、というような言い方を「叔母」に言っていたのだと思います。
そして、walking speaker 毒母実家で面白話になっていたのでしょう。
本当に、災害です。
毒母兄弟の遺恨?
ところで、私の父方は祖父の時代から学歴を重視していましたが、毒母実家では毒母以外皆高卒です。
毒母もその兄弟も戦前の戸主制度があった時代の生まれなので、長男(伯父)が後継ぎなのは確定事項なのです。
なのに、なぜか、毒母だけ短大を出してもらい、しかも、毒母は「小学校の先生の就職先があったけれども離島だったので祖母が泣くから就職しなかった。」などと言って、結婚するまで働いたことがなかったのです(もちろん結婚後も)。
他方、伯父は高卒で起業して社長(結構裕福)。
その会社でも男女の役割分担は今でも明確なようです。
叔母だって高卒で就職して恋愛結婚しているのに毒母は見合い。
女に学を付けても役に立たない
伯父と毒母の争いは私が生まれる前からの遺恨だったのかもしれません。