お父さんは、綺麗なものが好きだ。人間よりも自然が好きだ。

     最晩年の頃、父は私にこう話しかけました。娘に自分を理解して欲しい。
     優しい娘だったら優しい言葉をかけたかもしれません。

・・・・・私が物心ついた時から、家族のことは無視して自分の世界に浸っているだけで、自分は妻子の気持ちを理解しようとしたことは一度もなかったよね・・・・・・

     さすがに、口には出しませんでしたが。
     この父の態度によって娘たちの男性観を含めた人間観、人格の基礎がどれだけ歪め
     られたことか
     私が幼少の頃、家の中には両親と私しかいないのに、

給料が安い!!!家事を手伝わない!!!

     と般若の形相で立つ母親に対し

寝っ転がって完全無視

     の父親。このアイコンだとうさちゃんなので怖くないですが実際の父親は野球をや
     っていて身長が180センチもありガタイが良くて、幼児から見ればどっちも怖い
     。この状況で自分から「お父さん~お母さん~」って走り寄って行く気なんて起き
     ません。
     の父親。このアイコンだとうさちゃんなので怖くないですが実際の父親は野球をや
     っていて身長が180センチもありガタイが良くて、幼児から見ればどっちも怖い
     。この状況で自分から「お父さん~お母さん~」って走り寄って行く気なんて起き
     ません。
     どこかに遊びに行っても、怒り散らしながら行楽する母親と10mくらい後ろを一
     人でついてくる父親。
     幼児の頃でもなんとなく外で働いている男の人の方が偉い。男の人は美人が好き。
     奥さんは旦那さんに優しいもの。と漠然と思っていたので、父親のこのような態度
     は、父親が母親を嫌いだから。それは、母親が不細工でヒステリーだから。そして
     私のことも嫌いなんだ。という根強い観念を私に植え付けました。
     今になって思えば、これが父の特性。娘たちも大人になって旅行に行き、公園なん
     かを散歩するとしますよね。母と娘たちはこの花綺麗だね、などと会話している。
     それに混じることなく10mくらい後ろを歩いている父。それだけならまだいい
     ですよ。
     うちの父はそこで、ベビーカーを押している母親や、孫と虫取りをしているお爺さ
     んを捕まえて話しかけるんです。
     花が綺麗ですね。
     じゃなくて、
     日本経済の今後、などに関する持論を一方的に。
     相手が逃げ出さないのをいいことに、30分くらい話してます。
     おいおい、みんな、お父さんの話を聞くために公園に来ているんじゃないって。
     

     うちの父の口から出てくる話は2種類のみ
     日頃、他人と交わらずに一人で考え事をして思いついた持論を人に聞かせる話
     「俺は○○だ」という自分語り。
     母には一方的にサンドバッグにされるので、自分語りをする相手は娘達です。

     父の自分語りは時系列的にこんな感じです。
     
     私が小学生くらいの時

お父さんのお父さんは、凄く開明的な人で、明治生まれなのに大学に行っていたんだ。お父さんが学校に行ってる間は、PTA会長はお父さんのお父さん(おじいちゃん)で、村会議長もおじいちゃん、お父さんはこういう生活をしてきたから、野心がないの。うちの周りの土地はみんなうちの土地で、お父さんは身の回りの世話は下男にしてもらっていて、自分はお茶やお華を習っていればよい立場だったから、お母さんの実家の人みたいに、業突張りになれないんだ。

お父さんは、いつもお母さんにぼろくそに言われているけれども、こう見えて会社では部長なんだ。部下が200人もいて、お父さんがちょっと顔を上げるだけでみんな黙るんだ。

     まんざら嘘でもないですが、盛ってるでしょう。おじいちゃんはたしかに今大学に
     なっている高校には行っていましたが、当時の大学であろうはずがない。
     娘達にではなく母には、実家の蔵に東山魁夷の絵があるとか、祖父が奈良に山を残
     してくれたなどと言っていたのも聞いています。
     このように、自分を大きく見せたいのは父自身なのに、それを相手に投影して、母
     が見栄っ張りだとか、私が(いい大学いい会社に入れば)好い恰好しいだ言って、
     病むほど苦しめられました。
     でも、子供の頃どころか、大人になってもずっと父の言っていることは信じていま
     した。

     だって、子供って自分の父が立派な方がよいじゃないですか。

    人格者の考え=ASD的発想

   

私が子供の頃(注:戦時中含む)、家が貧乏だった!ピアノを習っているお嬢様がうらやましかったからピアノを買って!

     夫って、結婚したら妻が子供の頃に習いたかった習い事をさせないといけないので
     しょうか?
     もちろん、母が実際にピアノを習うわけにはいかないので習うのは私です。
     母曰く
     

私はお兄ちゃんがお父さんはあの家の中では金に煩くないから結婚しろと言ったので結婚した。
○○大学出て背も高いし、友達からは「残り物には福があるね。」って言われた。
歳が離れているけれども甘えたかったから結婚した。

     って、鬼母って結婚して子供時代をやり直したかったのか???
     うちの父親は、訳あって30歳くらいに会社への就職と結婚を同時にしたのです。
     ですので、私の幼少期、仁王立ちの鬼母とガン無視の父におびえていた頃、父は
     まだ、就職したばかりで、疲れていたし収入も少なかったのです。
     訳あって蓄えはあったのですが、ピアノを買うのに使いたくはなかったでしょう。
     でも、鬼母は自分の思い通りになるまで、相手を一晩中寝かさずとも、包丁振りま
     わしてでも同じことを言い続けるので、結局家族が折れるのです。
     これで、「年上の夫に甘えたかった♪」なんて全く似合わない考えですよね。

     母がこんななので、父が負け犬の遠吠えみたいに子供に吹き込む話が、ものすごく
     正しくて、子供達にはますます父が立派に見えたのです。

お母さんは、自分と言うものがない可哀想な人間なんだ。

 

お父さんは人格者だから、自分の欲得では生きていない。お母さんは我にとらわれている。もっと無我の境地に生きないと。

あれが欲しい、これが欲しい、そんなことを思う気持ちはお父さんにはない。世の中の人間は、欲にまみれ、見栄っ張りの人間ばかりなのさ。

世の中の人は、誰についたら得とかそんなことばかり考えてあっちについたりこっちについたり。俺はそういうの嫌いだから自分を磨くのさ。みんな俺を変わり者というが俺は楠正成とかそういうのを尊敬しているの。

自分が我慢し他人に奉仕する。それが俺の生き方。弟が結婚するために俺が結婚しなければいけなかったから結婚した。えり好みするつもりはないから、お前さえよければ俺はいいよ、と言ったのさ。

     最後のは、娘としては引っかかるものがありましたよ。つまり、母のことなんて
     もともとどうでもいいけど、結婚したっていうことですよね。
     今なら分かりますが、父の話は、全て、「自分が立派だ」という話と、身の回り
     と関係ない知識の披露。結婚だって、チャレンジして断られるのが怖いから冒険
     しないだけだったんだと思います。
     
     しかも、もうお分かりかと思いますが、父の上記価値観。何も高貴で立派な考え
     などではなく、まさに、「定型発達」の人を嫌う「ASD」の人の物の見方そのもの
     にすぎません。
     しかも、普通のASDの人なら「生きづらいな。自分はダメだな」と思うところ、
     父は、自分こそが孤高の人。立派なのは自分だけ。それを娘達にどんどん吹き
     込む。
     これって、ただのASDじゃなくて自己愛性人格障害が含まれていますよね。
     家族を下げて自分を上げる。関心があるのは自分だけ。
     私がまだ小学生の時には下げられているのは母だけでしたが、、、、、

  
     

投稿者

長女

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